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ケルネル田んぼの由来
(2019年「かかしコンクール 」配布ツールより)

 明治7年、当時の内務省勧業寮農学係は、農学生の教育を行う方針を固め、明治9年に現在の新宿御苑に農事修学場を設けました。これが明治11年、駒場野に移転して駒場農学校となったのです。

 この駒場農学校は、東京農林学校、農科大学、東京帝国大学農学部へと発展して行くのですが、と同時に、東京農工大学、東京農業教育専門学校、東京教育大学農学部、さらには筑波大学農林学系にもその発展の系譜をたどることが出来るでしょう。

 さて、この駒場農学校で、明治14 年~25年の12年間を研究と教育に情熱を注いだドイツ人がいました。その中で最も良く知られているのが、この田んぼの名前の由来となったドイツ人農芸化学教師オスカー・ケルネル博士です。ケルネル先生は、日本の農業をただちに欧風化しようとはせず、日本の土壌、気候、風土にあった稲作農法を中心にして、日本式農業に科学的メスを加えられたのであります。この時、この水田を開いて整備したのは、群馬県富士見町出身の船津伝次平翁でした。船津翁は『駒場野や 開き残りに くつわ虫』の句を残しています。この田んぼが、近代日本における農学発祥の地といわれるゆえんなのです。

 現在この水田は、筑波大学附属駒場中・高等学校の生徒達によって耕作されており、その歴史は昭和22年にまでさかのぼります。

 この水田を耕作する目的は次のようなものです。
 土に親しむことを通じて、生命を育むことの尊さ、自然と人間との関わり合いを学ばせる。
 「日本農学発祥の水田」という歴史的遺産を受け継ぎ、守ることを通じて、歴史への理解と誇りを持たせる。

 近年、都市化が進み東京における農耕地は、水田を含めて減少の一途をたどっています。

 この様な状況のため、筑波大学附属駒場中・高等学校では、田植えや稲刈り時に、近隣の幼稚園児、小・中学生を招待しその作業を見学させております。

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オスカー・ケルネル博士像
(東京大学農学部本部)

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​船津伝次平

[資料提供]筑波大学附属駒場中・高等学校 水田委員会
※かかし設置場所協力 筑波大学附属駒場中・高等学校 
           目黒区役所みどりと公園課

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